メモ帳と隔離所

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小説感想:さよなら妖精

ジャンル:ボーイミーツガールな青春ミステリ
新装版記念に

 

 『さよなら妖精』は作家、米澤穂信を語る上で外せない位置にある作品であろう。
 筋立てとしてはこんなところだ。高校3年生、受験を控えた守屋路行と友人の大刀洗万智は学校からの帰り道に雨宿りをしている少女に出会う。聞けば、その少女はユーゴスラビアからはるばる日本へ来たという。しかし、暮らす先がなく困っている、と。守屋たちはマーヤと名乗るその少女に宿を紹介する。その縁から、マーヤが日本に滞在する間守屋たち交流を深めていく。
 ユーゴスラビアという言葉にそれほど馴染みのない人も多いだろうと思う。基本的にはかつてバルカン半島に存在した今はない国家、といった理解で問題は無い。作中の時代背景は、そのユーゴの解体戦争の前後だ。 

 米澤穂信の青春ミステリはただ明るい青春より、どこか後ろ暗い、日陰的な青春が中心である。古典部であれば青春に巻き込まれ、引き擦られる人々の話であったり、あるいは才能の有無の話であったり。
 
 話を本題に戻そう。「さよなら妖精」において描かれるものも、青春故の全能感を持ちながらその一方での何者にもなれない人々だ。
 主人公の守屋は有り体に言って普通の高校生。特別な能力など何もない。そして、何か大きなことをしたいと願い続けている。自分にはきっと何かができると思い続ける、そんな人物だ。
 そんな根拠のない全能感と刺さるような痛々しさ。それがもたらすのは決して清々しさではない。痛々しさと苦々しさ。これに尽きる。
 しかし、読後に残されるのはそれだけではない。全てが無意味だったわけではない。本当に何も残らなかったとは言えない。
 まあ、そんなストーリーはもとより、各種表現に色々と楽しませてくれる要素もあり、読んでて飽きない。相変わらず米澤穂信のヒロインは表現が遠回しである。この頃からと言うべきか。

 と、まあここまでが本編の内容である。ここからは新装版で追加された『花冠の日』について。
 とんでもない燃料を投下してくれたものである。彼女は何かを残すことが出来たと、そう信じたい。
 いつか紫陽花を見に来た少女と守屋が会えればな、と。